詩人PIKKIの第三ブログ

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新連載シリーズ「従兄弟の物語」(1)の補足等・・


物語

いよいよ日本亡国とすべての日本人を屠殺場へという極右ファシズムの時代へと突入してしまった。
日本人のほとんどはすべての原発再稼動や新原発建設での再度の原発事故、放射能汚染食材での内部被爆で生き延びることは難しいことだろう。
特に若者には、徴兵制での日中戦争(宗主国米国のための)や労働者が枯渇しつつある原発での奴隷労働が待ち受けている。
中高年はどうせそう長く生きないのだからどうでもいいんだろうが・・

次の日米支配層のシナリオはー
《1932年11月のドイツの選挙と同じ。そこから4か月後に全権委任法が成立、ナチスの独裁体制と恐怖政治が始まる》(世に倦む日日氏のツイッターからー『ここ』)
選挙協力拒否の共産党はナチスでのように「アカ狩り」で真っ先に抹殺され、若者たちはみんな徴兵制で原発奴隷労働や戦争で、日米支配層の金儲けの材料にされることだろう。

来年一挙にナチスドイツ型ファシズム国家へというのは間違いない。
1932年11月のドイツの選挙と同じく官財マスコミや国際金融資本に支持された「憎悪」「差別」のファシズムが再び日本を滅ぼし、日本人はもう二度と復興しないだろう。
戦前との違いは、原発事故であり、米国属国植民地化が終了した日本などは原発廃棄物・核廃棄物のゴミ捨て場くらいの位置しか与えられない。
すべての日本人はもう幻想と平和ボケを捨て去るべきだ。もう遅いけど・・

どいつでは、ナチス勝利(自公勝利とダブって見える)の4か月後に全権委任法が成立(安倍自公政権も「戒厳令」を必ずやるだろう。選挙前に改憲案を提示しての政権公約なので)、ナチスの独裁体制と恐怖政治と侵略戦争の再現が日本でとは・・
羊よりも従順に滅ぼされつつある日本低国人に相応しい頌歌はー『ここ』 

◆中世までの日本では、虹が立つとその麓で市場を立てる慣わしがあったとか・・有名なのは藤原道長邸の市。虹の麓には宝物が埋まっているというのは世界中にある言い伝え。
夜にボーと光輝いて見えるので発見された鉱山も多いので、昔は縁起が良い事の象徴だったんだろう。
『Over The Rainbow * Teshima Aoi 』ー『ここ』
真似したいような発音かな・・

◆銃乱射事件多発米国はもう末期的。日本でも米国のように銃が自由だと・・自殺犯罪人身事故へという年十数万人が米国のように。国民性違いいうより
武器入手可能の差。映像音楽が最高!『タクシードライバー』ーhttp://www.youtube.com/watch?v=JRSdrLjDzB8

◆『「憲法9条知ってるかい」忌野清志郎さん「世界に自慢しよう」』ー『ここ』
ーロックの基本は愛と平和だ。一番の環境破壊は戦争なんだ。この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。世界中に自慢しよう


北海道の開拓三代目として生まれ育った故郷では、電気こそ引かれていたものの、村一番の貧乏だった。その理由は三つあって、父が毎晩外へと飲みにゆく大酒飲みだったのと、カラマツで大失敗したせいだった。この成長の早い木の植林が戦後大いに奨励されたというが、三十年たっていざ伐採の時期になると二束三文の値段になってしまっていた。それともうひとつの理由は、母方の祖母の腎臓病の薬代を母が働いて仕送りしていたせいだった。

北海道では半年近くが雪の下で、他にする事がないのでついついセックスに励みがちになる傾向がある。父は13人兄弟の末っ子で、母は7人姉妹の真ん中だった。
父方の祖父が亡くなった後に、この13人にい1町歩づつ遺産相続したというが、湧き水のでる一番良い土地とお金(明治時代の金貨銀貨や江戸時代の寛永通宝が多かった)を相続したので上の兄弟たちからはとても恨まれていた。
しかしこれは仕方ないことだった。なんせ祖父母の近くに住むのは、長兄と父ばかりだったが、長兄は家宝の刀等を持ち出して売払ったという前科のために祖父と犬猿の仲だったし、毎晩のように祖父と酒飲み友達だったのが父だったからだった。
若い頃は刀を降り回して家族を追いかけたという酒乱の祖父もその頃にはだいぶ大人しくなっていたらしい。

しかしながら、伯父伯母の相続した土地も、父が相続した土地も、熊が徘徊するという山奥の町から半日もかかる場所という点では同じだった。
父は二度ほど熊と出会った事があるという。北海道では現在でも熊の被害が年間数千件あり殺される人も多いけれど、熊の領分を次々と奪っていった開拓時代にはさらに多かったという。
朝起きると畑中が熊に掘り起こされていたり、開拓に入ってすぐの頃は、戸の代わりにぶら下げていたムシロから熊がぬっと顔をだしりという事も何度もあったとう。
「熊に牛を食われたからそっちへ行ったら駄目だよ」と注意された事も子供時代に何度かあった。
不作のためにいよいよ食べる物がなくなり一家餓死寸前という時に、どこからかアイヌの老夫婦がやってきて干魚や山菜を置いていってくれたのを、今でも感謝していると何度か祖母に聞かされたことがある。

そんな風に、親戚中からほとんど相手にされず、カラマツ植林に失敗したぼくの一家とほとんど唯一行き来していたのが母の一歳上の伯母一家だった。そこの一歳年上の従兄弟とは物心がついてから、いつでも何処で一緒だった。兄弟よりもずっと長い時間を過ごしたのだった。

補足:父の思い出(1)ー父は無類の子供好きだった。子供の頃頬ずりする髭が痛くて困った。父が素面だったのをほとんど見たことがない。そのせいかしょっちゅう犬に噛みつかれると嘆いてた。夜仕事に行く時はいつも懐中電灯とワンタッチで開く傘を持ってだった。ぼくも北海道で二度犬に噛まれた。放し飼いが多いので・・
うま
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